生存困難系な自分(2010/12/11(土))

「哲学者=作家=音楽家 攝津正」に追加・更新。
http://www.geocities.jp/tadashi_settsu/

2ちゃんねるの自分のスレッドを覗いてみたら、ブタ(=私のこと)はいつもいつまでも同じような「自分語り」を延々ブログに書いていてよく飽きないものだ、飽きないというところが自己愛性人格障害なのか、と揶揄されていた。確かに私の書くものは、ほとんど強迫的に同一内容の反復だし、中身も特にないことは認める。同じようなことを繰り返し書くのが、自己愛の現われで、自己愛性人格障害である証拠だと言われれば、特に反論する言葉も持たない。そうなのかもしれない。ただ言えるのは、医者の診断は違うということだ。回避性パーソナリティ障害(不安パーソナリティ障害)。それが爽風会佐々木病院のH医師、T医師の診断だ。以前は社会不安障害(不安神経症)=SADと診断されていたが、一段重くなった感じだ。だが、ああ、医者がどう言おうと、それが何なのだろうか。私にとって。私の生存にとって。医者の診断が何なのだろうか。医者が何を言おうとどんな薬を処方しようと、私は変わらないし、私の苦しみもそのままだ。私はそれを、「自分苦」と呼んだ。自分苦とは孤独の地獄であり、友が現れることによって癒される。Ustreamでmelonmaedaさん、iwayan77さん、yukie14さん、nakachiyamiさん、huratiさん、nenakayaさんらと触れ合えば、その苦しみは少しだけ和らぐ。私は自分を受け入れてくれる友人を求めているが、それは地域には求められないので、インターネットを通じて全世界にそれを求めねばならぬ。とはいえ、友人とネットで出会っても、特に病気が良くなることもないのも事実だ。私は、これまで何度となく繰り返し書いてきたように、生存困難系なのである。生きるのが苦しい。生きるのが辛い。両親が健在な今でもそうだから、両親が弱ったりボケたり、亡くなったりしたら余計、絶望的な気持ちは強まるだろうし、それをどうすることも出来ないだろう。そのときになって、自殺を断行する勇気が残っているかは分からない。だがそんな勇気があったのだとしたら、私はとうに死んでいる。私は絶望しているからである。私は、自分のホームページにでかでかと謳っているのとは違い、哲学者=作家=音楽家には、永久になれない…。そう思いつつ生存を継続するのは苦痛である。だが、他に選択の余地はないのだ。それが生存困難系ということだ。