自分の立ち位置

今日、東・宮台らを批判するなかで、自分なりの立ち位置とでも言うべきものが少し見えてきたように思えた。それは、高学歴だめの問題を考えるということである。学歴は、ないならないで、「高過ぎる」なら「高過ぎる」で、いずれも社会不適合を引き起こす。そのような不幸を考え、その苦痛を減らすことに取り組むなかで、不安定知識人や不安定芸能者の生存という課題に取り組む。
東・宮台らは、治者=知者として語る。言い換えれば、社会設計思想的なイデオローグとして語る(民主主義2.0とかがその典型)。それに対して私は、「父」たることを拒絶した「子」として、「統治されるもの」の立場性から批判活動を行う。自らの生存自体が政治的闘争=逃走の掛け金になっている。生政治である。ネグリらの用語と違うかもしれないが、そう考えている。