その5

『ジ・アート・テイタム・トリオ』には、冒頭の「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」の他にもう一曲、コール・ポーターの曲が入っている。「ラヴ・フォー・セール」がそれである。ここでもテイタムは素晴らしい快演を繰り広げる。正は、もう何回目になるのか分からぬが、それを大音量で掛けながら、陶酔の感情に浸っていた。高校生の時から、今に至るまで、ずっと聴き続けてきた音楽。かつて自分が聴いたテイタムと、今聴いているテイタムは同一なのか。分からぬ。過去の自分が消え去ってしまった以上、同一性が担保されているのかどうかは分からぬ。記憶はあてにならぬ証人である。記憶は多くを歪曲する。人間は自分の都合の良いように記憶し、忘却する。我々は過去をありのままに受け取るのではない、捏造するのだ。自己を正当化する虚構として。そういう意味で、あらゆる自分史は虚構である。正が語る自分史もまた、そうなのであろう。……