ジュディス・バトラー / ジェンダー・トラブル

セックスの不変性に疑問を投げかけるとすれば、おそらく、「セックス」と呼ばれるこの構築物こそ、ジェンダーと同様に、社会的に構築されたものである。実際おそらくセックスは、つねにすでにジェンダーなのだ。そしてその結果として、セックスとジェンダーの区別は、結局、区別などではないということになる。(p28-29)

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

ジェンダー・トラブル』のなかで恐らく最もよく知られた、人口に膾炙したくだりである。しかし、よく考えてみる必要がある。「セックスは、つねにすでにジェンダー」であり、「セックスとジェンダーの区別は、結局、区別などではないということになる」のなら、ジェンダー/セックスという区別そのものが無効だということにならないか。しかも我々は、何らかの一定の生物学的身体を持っていることは自明の事実である。勿論、トランスジェンダーがそうするように、その身体性を変容させることは常に可能なのだとしても。「性別横断」が可能なのだとしても。身体が組み替え可能なものだと想定しても、しかしそれは、組み替えへの物質的抵抗としてあるように思われる。
ここが躓きの石だと思うので、よく考えてみることにしたい。