アドルノのジャズ批判

Th.W.アドルノテオドール・アドルノ)のジャズ批判は、まだ発展途上のジャズしか対象にしていないので限界があると語られてきた。だが、『音楽社会学序説』(高辻知義・渡辺健訳、平凡社ライブラリー)によると、そうではない。

ジャズの社会的機能はその歴史、つまり大衆文化に受け入れられた異端児のたどった歴史に一致する。たしかにジャズには文化の享受を許されなかった人々や、そのでたらめさに怒りをおぼえた人々のための、文化そのものからの音楽による脱出の可能性が秘められてはいる。しかしジャズはこれまで何度も文化産業の手に、したがってまた音楽上の画一主義、社会的画一主義の手にとらえられてきた。スウィングだとかビーバップ、クール・ジャズといったジャズのさまざまな様相を示す標語は同時に宣伝のスローガンでもあり、先に述べた、才能の吸い上げの過程が印した傷痕でもある。現存の条件の下で、しかも飼いならされた軽音楽を手段に用いたのでは既成文化を破壊できそうもないのは、軽音楽の領域そのものが指し示しているとおりである。(p76-77)

この記述からすれば、アドルノはパーカーやマイルスは聴いたうえでジャズ批判をしているものと思われる。少なくともクール・ジャズまでは辿っているわけだ。アドルノの判断を肯定するわけではないが、その批判を矮小化してはならないとも思う。

音楽社会学序説 (平凡社ライブラリー)

音楽社会学序説 (平凡社ライブラリー)