相対主義万能論ではなく…

価値判断が生成してくる過程を叙述しようとしたのです。
一定の支持を得ている価値判断、例えばパーカーのビバップは素晴らしいという価値判断が確立したとしても、ウィズストリングス以外パーカーは認めない、という寺島靖国さんのような方もいらっしゃるわけです。一つの意見なり判断を万人に強制することは事実上できませんし、望ましくもないでしょうから、100%の客観性は無理だ、と言いました。
有資格者の問題なども誤解されていると感じますが、要するに科学的真理に関する科学者のような立場の人をジャズにおいて探しているわけですよ。プレイヤー、批評家、聴衆などが思い浮かびます。私は、パーカーならパーカーを、楽理的に理解しなければ理解したことにはならない、とは思わないものです。それでは、ごく一部のパーカー研究家しかパーカーを理解していないことになる。パーカーを繰り返し聴き、受容し、理解するだけで十分だと思うのです。それすらできているのかと問われるかもしれませんが。