ミネルヴァの梟は…

私のブログのコメント欄への自分の書き込みの一部です。

一般に、闘争なり抗争なしに多数多様性という価値が獲得されるわけではないのです。私は、カントの哲学が「批評」から始まったという柄谷行人の意見に賛成です。つまり、毀誉褒貶の激しい論争があり、和解不可能な闘いがあり、そうした根本的に異質なもの同士がぶつかり合う「歴史」を経た後に、歴史的に「価値」が確定されるのです。言論の闘い、ときには身を挺しての闘いがあり、その後に価値の多数多様性が確立される。それが歴史というものです。

上記のように私が書いた意味を解説しながら、次の議論に繋げたいと思っています。簡単にいえば、私は、「批評」が(体系としての)「美学」に先行する、と考えているのです。
ドゥルーズの『シネマ』は最も適当な例でしょう。この本は、邦訳が出る随分前、私がまだ学生だった頃のことですが、マニアックな映画好きにはとても評判が悪かった。というのは、ヌーヴェル・ヴァーグの批評家(アンドレ・バザンなど)の批評の価値観をそのまま引き写しにしているだけで、日活ロマンポルノも日本のドキュメンタリーも入っていない、クリント・イーストウッドも入っていない、というのです。
私は彼らの言い分は正しいと思いますが、若干留保があります。
『シネマ』は映画というジャンルに関して、イメージ(フランス語読みだと、イマージュ)なり記号の自己発展の体系を壮大に描き出しているようにみえます。(ドゥルーズが嫌っているヘーゲル弁証法のようですね。)しかし、そのような美学的達成が可能だったのは、膨大な批評的言説が既にあり、それを参照することができたからなのです。
ミネルヴァの梟は…」というのは、ヘーゲルの有名な言葉ですが、美学ないし哲学は、「後から」来るもので、「始めにあるのは毀誉褒貶の戦場、多事争論の空間」だということなのです。

ジャズの例を取りましょう。電化マイルスが歴史的価値がある、ということは、ジャズ関係者の大多数が承認していると思います。しかし、それが出てきた当時はそうではなかった。それを熱烈に擁護する批評家やファンと、全否定する批評家やファンが、まさに和解のない戦いを繰り広げていた。
しかし、ジャズの歴史はもともとそうだった。チャーリー・パーカーディジー・ガレスピービバップが出てきたときも、ルイ・アームストロングはそれを「チャイニーズ・ミュージック」(わけのわからぬ音楽)と呼んで──中国人に失礼な話ですね──、馬鹿にした。しかし、ビバップは広まり、ジャズを愛する人の大多数がバップの価値を承認している。スウィング・エラしか認めない、という人はかなりの少数派ではないでしょうか。

カントの美学の話をすれば、あの規定的/反省的判断力という話は、普遍と特殊の関係の話だったはずです。普遍的規則から特殊なり個別を演繹するのではなく、特殊なり個別、私達の文脈では個々の作品から出発して、普遍を推測(想像)するということ──これが反省的判断力の役割のはずです。
個々の作品を前にした私の判断はあくまで、個人的、私的なものです。しかし、私は「あたかもそれが普遍的なものであるかのように」主張するのです。そして、そのように主張する主観(主体)は複数的、多数で、相容れない部分や和解不可能性があるから、それぞれの主張の相克が生じます。
作品の価値が確定されるのは、そのような批評の「戦い」の後なのです。言い換えれば、美学が可能になるのは、体系が可能になるのは、ということですが。
電化マイルスやビバップの例を挙げましたが、それは今でこそ普遍的で客観的な価値「であるかのような」様相を呈しているけれども、そうではないかもしれない。ジャズの世界には、今でもそれを断固として認めないという人がいるかもしれない。その意味で、美的判断は「100%客観的」ではあり得ず、共同主観的、間主観的、或いは共同体的なものに留まる。そうでないとしたら、もしかしたらいるかもしれない反論者(少数派)の意見を抹殺したうえでしか可能でないでしょう。

netjazzさんは何か誤解しているようですが、私はマルクス主義的批評を主張しているわけでも、プロレタリアの立場に立っているわけでもないですよ。ただ単にジャズが好きで、その批評なり美学の基礎づけ(根拠づけ)に努力したいと思っているだけです。