戦争と平和の続き

『群像』の今月号で柄谷行人に作家の奥泉光島田雅彦がインタビューしている。柄谷行人は『世界史の構造』を刊行して、日本は憲法九条を実行して自衛隊を国連軍にすればいい、そうすれば世界同時革命だという立場である。かなりはしょっていえば。
興味深かったのは、そこで次のような議論がなされていたこと。誰も三島を無視できないのは何故か。三島は自分の生命を贈与した、つまり自殺したからだ。憲法九条を実行することは、国家が自殺するようなことだ。というのである。無論、柄谷は自殺すべきだという立場でそう語っているのである。

死の欲動や破壊衝動というレヴェルでいえば、超自我として内向化させるか、そのまま他者の破壊に向かうかだが、個人レヴェルで、或いは国家レヴェルで自殺というのは前者であろう。後者を選ぶ人、軍事的にやりたい、武装闘争したい人は、前のエントリーでも書いたが、アフガニスタンでもイラクでもパレスチナでも行って、反米軍事闘争をすればいいと思うのである。但し、実際の死が訪れる直前に、想像していた死と現実の死の違いがリアルに分かる。が、その時には手遅れだ。
赤軍東アジア反日武装戦線のようなものは別に時代遅れでも不可能でもない。現在ではそれが別の衣装を纏っているために、それと判別し難いだけなのだ。生よりも「戦死」を望む人には、いつでもそれは可能であるだろう。くどいようだが、実際の死の直前に、想像された死と現実の死の相違が分かるだろうが。