善悪の分割…

善悪の分割は、悩ましい問題である。私は、「良い同性愛」(つまり成熟した雄同士が盛り合う同性愛)と「悪い同性愛」(ペドファイルなど)があるという考えを受け入れられない。大学生の時もそうだったが、今もそうだ。
世界的には、ペドファイルへの風当たりは厳しくなってきている。児童ポルノの単純所持を犯罪化しようという最近の日本での動きもそうだろう。確かに搾取される子供がいるのは許せない。だが、同時に、いかなる欲望も無罪である!
無罪、無垢のテーマ、心的生活においては全てが許されるというテーマは私において一貫している。フェリックス・ガタリは『政治と精神分析』に収められたテキストで、人形の首をひっこ抜く子供を例に挙げて、この問題を論じている。また、最近文庫版が出た『三つのエコロジー』でも、精神のエコロジー(もともとはグレゴリー・ベイトソンの概念である)の問題としてサドやセリーヌに言及している。