もう習慣になっているが、…

もう習慣になっているが、2ちゃんねるの自分のスレッドを読んでいたら、本気で両親のことを思っているなら「働く」一択だという書き込みがあり、衝動的に「働くのはどうしても嫌だ」と返事してしまった。働かねばならぬ、強制労働、賃労働、考えるだけでパニックになる。もう私は、賃労働からは永遠に落伍したのである。もう二度と、その世界に戻るつもりはない。
今日はドラムの高校生のレッスンがあり、ピアノを弾いたが、全身が筋肉痛。痛くて堪らない。でも耐えて演奏する。しかし、彼は月謝を持ってくるのを忘れた…。何だか泣けてくる。
ポイント二倍なので、ウエルシア薬局で、マーガリンとケチャップと「旅行の友」(という名前のふりかけ)を購入する。いつも会う薬剤師のおばさんがレジをやっていて、「私達もこれからどうなるのか分からないんですよ」と笑う。
帰宅して、お湯を沸かし、両親に一番茶を淹れ、自分も飲む。肩に塗るサロンパスを塗ろうと思うが、シャワーを浴びてからにしようと、母親から揉んで貰うだけにするが、痛みは取れない。今日はUstreamはよそうと思ったが、やはり放送することにした。
明日はまた株、そして銀行廻りである。明後日はカウンセリング。
最近母親が咳をしたり、痰を吐いたりするので、肺癌ではないかと心配だ。もうじき、市の検診を受けるので、癌かどうか分かるだろうが。煙草が増税で大幅に値上がりしたので、両親共に本数を減らし、禁煙しようとしているが、時既に遅しかもしれない。七十五歳までヘヴィースモーカーだったのだから。そして私も副流煙で肺癌になって死ぬかもしれぬ。毎年六千人超が副流煙のため肺癌で死んでいるというニュース記事を読んで憂鬱になった。先端研(小泉義之)のTwitterが、リスク社会論、セキュリティの論理に反対すべきだというニュアンスのことを書いていたけれども、実際に煙草の煙に生まれた時から今までずっと曝され続けてきた者としては、そのような高みからの物言いには怒りを覚える。本人が病気のリスクが高くなるのはやむを得ないかもしれないが、周りの人間も癌になるのではたまったものではない。
そういえば、昨日、結婚を決意した友人を囲んで何人かで集まった時、だめ連、あかねの統合失調症の知り合いが、脳梗塞で倒れ、半身不随になって、煙草をやめたという話を聞いた。逆に言えば、そこまで行かなければ禁煙できなかったのだ。うちの両親も同じかもしれない。そして私もまた…。
メタボ肥満が酷いので、鎌ヶ谷にあるスイミングスクールに通おうかという話をいつもするのだが、お金が幾ら掛かるのか気になり、実行に移せていない。痩せられる方法はそれしか思いつかないのだが。