中小零細企業を救えなかったNAM

NAMで感慨深かったのは、中小企業団体の代表者みたいなお年寄りが感激して入ってきて、「中小企業の希望はNAMにしかない」と言っていたことだ。にも関わらず、NAMは実際には、中小零細企業や自営業者らに何もできなかった。
お年寄りがNAMに期待したのも理由がないことではない。柄谷行人自身が、シャッター通りと化した地域の商店街は、アソシエーション(連合)を模索するしかない、と語っていた。
二和向台の商店街も、シャッター通りである。古書店が潰れ、書店が二軒潰れ、魚屋が潰れ、飲食店が潰れ、眼鏡屋が潰れ…。儲かっているのはTSUTAYAのような大資本、または、Big-Aのような新たな業態の小売業だけである。勿論私ども芸音音楽アカデミーも会員さんが減って苦闘している。まだ潰れてはいないが。
中小零細企業や自営業の希望はアソシエーションにしかないのだろうか。仮にそうだとしても、どうやってアソシエーションを作っていくのか。TVで観た、B-1のような試みは、地域活性化として面白いとは思うが。

実名を挙げて恐縮だが、京都で美容院Differenciaを経営している、後藤学さんの話をしたいと思う。後藤さんは、原祐人(柄谷祐人)さんと共に、市民通貨L(後にGと改称)の発案者である。
Lの特徴は、経済学者の西部忠さんらが考えた地域通貨Qのことごとく反対を考えたところにあった。
消費者(個人)でなく商店を軸に考え、赤字発行も商店には認めるが個人には認めない。国民通貨(円)で支払ったのに対し市民通貨をペイバックする方式のため、煩瑣な本人確認が必要ない、などである。
私が現在、後藤さんや原=柄谷さんの主張に疑問を呈するとしたら、Lはポイントカードのようなものだから煩瑣な本人確認が必要ないとされていたが、それが本当に経済的に意味があるものを目指すのであれば、逆にQ以上の煩瑣な厳密さが求められるのではないかということである。要するに、セキュリティということだが。もし、Lが実現していたとして、Lによる詐欺などが起きたらどうするのか。Lが経済的に実質あるものになっていたら、Lにまつわる犯罪も起きてくる可能性がある。そのような悪意に対する防禦が不十分だと思った。
NAM事務局長をやった杉原正浩さんなどは、後藤さんのことを、LETSの理論家として褒め上げていたが、私には疑問である。Lが実現しなかった経緯についても不透明な部分が大きい。柄谷行人さんは「市民通貨」という強迫観念から解放されたかと思えば、今度は「世界共和国」という強迫観念に取り憑かれた。トランスクリティカルな批評家など、そんなものだ。だが私が思い出すのは、冒頭に書いたようなお年寄りの熱情である。NAMは贋物だったが、あのお年寄りの熱情は本物だった。あの意気に応えるだけの制度、技術を構築したいものだといつも思っているのだが、実力がなくできないのは、内心忸怩たるものがある。