フジテレビを見ての感想

もう寝ようと思って2階に上がったが、まだ10時前、早かった。私は、10時から教育TVでサンデルの哲学討論番組が見たいと希望したのだが、父親に退けられて、フジTVのニュースバラエティを見た。
例によって、中国漁船の船長解放問題をやっていた。そして、木村太郎キャスターが、「中国にとって一番嫌なこと、つまり憲法9条改正をやればいい」と主張していた。
私は、憲法9条改憲に反対である。戦争の放棄という理念を、いまだ手放すべきではないと思うからだ。だが、今回の中国問題のような場合、どうするのか。
以前から、グローバリゼーションに伴って近代的な主権国家は意味がなくなってくる、という議論がよくあったが、現在、まさに領土という古典的なテーマにおいて、主権国家が強力に回帰してきている。そのような状況にどう対応するのがいいのか。
尖閣諸島が日本固有の領土だという主張を認めるとして、それから先をどうするのか。
尖閣諸島が日本の主権の及ぶ領土なのだとしたら、その範囲内での違法行為に関し、根拠が曖昧なまま中国人船長を釈放した行為は、日本が中国の様々な(政治的、経済的等々)圧力に屈したと解されても仕方がない。実際、海外メディアはそのように報じているようである。
しかし、日本は尖閣諸島を自己の固有の領土とし、中国は魚釣島を自国の領土と主張して譲らないのであれば、衝突は不可避に思える。
木村キャスターの言うように、憲法9条があるせいで甘く見られたとは言えないと思う。中国の圧力は、今回、政治・経済・文化等多方面に渉っている。中国国民(中国以外に在住する中国人も含めて)の愛国心ナショナリズム教育も強力な模様である。政治・経済・文化の交流を断たれて苦しんでいるのは、日本のほうであるようにみえる。菅総理戦略的互恵関係と繰り返すが、「互恵」関係があるとは思えない。発展しつつある中国のマネーが日本の資本主義経済に不可欠になっているようにみえる。
つまり、状況を総合的に見ると、日本には理があるがそれでも不利であるようにみえる。中国は日本を拒めるが、日本に中国を拒むことができぬとしたら、互恵関係、対等な関係でなく従属関係であろう。中国の強硬姿勢はアジアにおける覇権を狙っているとも思われ、日本が従属的な立場に当然あるべきものと(中国側に)考えられている可能性は極めて大きい。
この状況を改善する方法があるのかどうか、私には分からないが、国際的な上位の調停機関のようなものは存在しないのだろうか。日本の主張と中国の主張を公平に判定し、裁定するような中立的な機関はないのだろうか。もしそのような機関がないとしたら、日中両国の剥き出しの力関係になってしまい、大変まずいように思う。

もう1つフジTVのバラエティーで不快になったのは、日本資本主義の勝者の法則なるものを特集していたことだ。そこで取り上げられていたのは、牛丼のすき家、宝島社の雑誌『Sweet』などだが、私はそれら企業の提供する商品(モノ・サービス)がいいとは全然思わなかった。むしろ巨大な無駄だと思える。つまり、私は、反資本主義までいかないとしても、非資本主義的だということだ。
私自身や、私の関係するもの、例えば芸音音楽アカデミーCafe LETSは現在の日本資本主義における敗者であることは間違いない。しかし、敗者には敗者の言い分、意見がある。ニーチェが病者の光学と言ったように、敗者の光学があるのである。
その視点からすれば、ブックオフTSUTAYAなどの台頭と書店、古書店、CD屋などの不振、廃業などは密接に関わっていると思える。人々の多様な欲望を見事に捕捉するグローバル企業は必ず競争に勝利し、動きののろい(スローな)中小自営は必ず敗北する。
それは商売のみならず、文化形態も変えずにはいない。先日、大西順子と日野皓正のUstreamを見たが、音楽業界不況は音楽のありようも変えつつある。例えば、CDは無償、無料で配布してライヴに来てもらいそこで金を落としてもらうなどだ。だが、不況でライヴハウスも潰れている。大西と日野の対談でも、解決策はミュージシャン自身にも見出せず、だからこそUstreamなどを試みているとのことだった。
同様のことが文学の世界にも言える。吉本隆明が、文学と音楽の世界が真っ先に「超資本主義的」になると語っていたのは、(それ自体は間違っていたとしても)資本主義としてのあり方が変容しつつあるという意味では正しい。
簡単にいうと、ものすごく売れる一部商品と、その他の膨大な「売れ残りの商品」(岡崎乾二郎)とに二極化するということで、これが「プロ」としての音楽家なり哲学者なり作家なりの存立を困難にしている。他方、アマチュア、ヴォランティアとしては、誰でもが、文字通り意志するだけで哲学者、作家、芸術家であり、発表媒体もインターネットを通じて無数にある。
通俗的にいえば、インターネット関連で金を取るのは困難ということなのだが(ニコニコ動画は数少ない成功モデルである)、無償、無料で公開するというつもりならできることが無数にある。それが今の状況である。今書いているこのmixiの文章もそうだ。アマチュア、草の根的生産の生産物(無償)である。
冒頭の勝者、敗者ということでいうなら、敗者でありながら無限に生き延びられるゾンビ的な?道があるということだ。それがクリエーターにとって幸運なことか不運なことかは知らない。しかし、私どもが、商売として成り立たない生産活動を地下で?続けているというのは端的に事実である。私が興味があるのは、勝者の法則ではなく、敗者のゾンビ的サヴァイヴァルの道のほうだ。そう言えばすっきりするように思う。

長くなったので、一旦ここで送る。