での表現を考える

吉本隆明に『素人の時代』という著書があり、それ自体は読んでいないのだが、内容はおおよそ推測できる。テレビ等のサブカルの称揚、そこにおける素人の芸の評価といったことではないかと思う。一億総表現者、というか、誰もが芸人であり得る時代に入ったという認識だと思う。
私は先日、不眠の夜に、同様の認識をインターネットに関して書いたが、それに対して、ブログのコメント欄だったか2ちゃんねるだったかで批判があった。その内容は、万人が発表の場を持てるということは競争がより熾烈になるという意味であり、駄目なものはより淘汰されていくのだというのが何故分からないのか、という嘲笑であった。
批判者の言うことにも一理あると思う。インターネット=無償贈与の世界でも、敢えてその表現(文章であれ、音楽であれ、映像であれ)に接しようと思うのは、その価値を認めたものに限られるだろう。タダであっても、時間には限りがあるのだから、何を視聴し何を視聴しないかという選別が消費者の側に生じることになる。
それがテレビ以上に厳しく、面白くないものは顧みられないということは十分にあり得る。そして私の文章表現や音楽表現が三流以下であるため、積極的に享受される対象たり得ないということもあり得る。というか、多分そうだろう。
そのことを認めたうえで、ではインターネットでの表現活動を一切やめるべきなのか。ブログ更新もYoutube投稿もやめるべきなのかというと、そうは全く思わない。端的に駄目なものであったとしても、私は自己表現をやめないであろう。それがただ、自己満足のためだけだとしても。そのことに何の意味があるのかといえば、特に意味はないと言わざるを得ないのだが。