武井昭夫の死

すが秀実さんのmixi日記で知った。武井さんとは、あかねでワークショップをやってもらったとき面識があり、その人柄に感銘を受けたのを思い出す。
ところで、すが秀実さんは、文芸批評家の中島一夫http://d.hatena.ne.jp/knakajii/20100911/p1)の追悼文が素晴らしいと述べているが、私には疑問もある。
フーコードゥルーズデリダらフランス現代思想から、ネグリ/ハート『帝国』論にいたる思潮は、修正主義であり転向である」という発言を中島一夫は称揚しているが、フーコードゥルーズ=ガタリネグリ=ハートらが「修正主義」なのは当然であり、それで何が悪いのだろうか? 日本でいえば、吉本隆明柄谷行人
原則的なマルクスレーニン主義者であるということに、私は肯定の価値を置き得ない。中島一夫のように「だからこそ、武井さんの言葉は、現在なお一層批評的に響くものだった。」とは思わない。
繰り返すが、修正主義であり転向であることの何が悪いのだろうか? 例えばドゥルーズ=ガタリは『千のプラトー』で、マルクスを援用するとともにジェヴォンズケインズ等を好意的に引用している。しかし、例えば初期の福本和夫のように、近代経済学は科学ではない、堕落だと断罪するのが「正しい」左翼だというのだろうか? 私はドゥルーズ=ガタリジェヴォンズの限界効用に触れたくだりは面白いと思うし、それが修正主義、転向であってもいいと思う。
ともあれ、武井さんの本を読み返そうと思った。