のためのメモ

少し読書したり、音楽を聴いたり…。終戦記念日だがまったりと過ごしている。
最近、津軽三味線をまた弾いてみたり、過去の自分の音源を聴いて思い出そうとしたり、している。考えてみたら、ピアノも三味線もカウンセリングも、家が貧乏でお金がないから続けられなかったのだった。
テレビ東京ミューズの晩餐」でジャズ・ピアニストの大西順子さんの無名時代の苦労話とかを聞き、自分の根性では無理だな、と思う。
ニーチェを少し読むが、自分はニーチェが批判する存在(デカダン)だと思う。社会民主主義者だし、同情に毒されている。反動的だし。
戦争にも反対だ。たとえ革命戦争であろうとも。自分の小さな日常を守ろうという卑小さ、保守性を自虐する。一家三人の日常生活が大事なんだ…。他者や社会を顧慮しない。非社会的、反社会的。他者を気遣う余裕がない。
話が戻るが無限に教養を積む時間があるわけでもなし、どこかで妥協しなければならない。
どこかで世に出なければ。
だが今月のジャム・セッションは芸音の仕事で行けなかった。来月も無理。金ない。貧乏故に交流もできない。だが交流もできないから、音楽仲間も見つからないという悪循環。