思想の持続

「まあ、そのような思考は中学、高校の頃から現在に至るまで数十年間、私において持続している。」と私は書いた。では、何故なのだろうか。
それは根本的には、公立中学校という規律・訓練(ディシプリン)の場、集団生活、統制の場への違和、抵抗、反抗からきていると言い得る。私は、不登校=登校拒否であった。そしてその頃からの志と感情が、現在も持続し、労働拒否に繋がっていると思える。
それはどういうことかというと、中学校などは、大学や大学院とは異なり、学問の場ではなく、集団への個人の適応、埋没を強制する場だったからと言えると思う。校則の拘束(洒落だが)などその最たるものである。
私は、中学でも高校でも生徒会役員をやったが、公には校則を変えること、なくすことはできなかった。言い換えれば私は、活動家、革命家としては無能だった。しかし、私は、「撤退」=exitを選んだのである。それが不登校=登校拒否だ。
集団なり社会に馴染めないということ、適応できない、いやむしろ積極的能動的に適応を拒絶するということ、それが過去の私、そして現在の私を形成している。
私の思考は隅から隅まで反社会的である。或いは非社会的である。それを反社会的人格障害と呼びたければ呼べばいいだろう。私としては、そのようなものとして何とか生き延びることを目指すだけである。サヴァイヴァルの倫理。