のためのメモ

カウンセラーが「現実を見よ(暗に、働け)」と言い、私が頑なにそれを拒絶している、という会話、この関係性は不毛で無意味なものではないだろうか。
私は「現実」を拒絶している。無職ひきこもりでしかない35歳の自分、という現実を。
ミーイズムが批判されることが多いが、自分のことだけで精一杯で他者を顧慮する余裕がないという状態は実際にあるのではないだろうか。私はそれを「自分苦」と呼んだ。
「自分苦」に留まる人は倫理的とはいえないであろう。だがそれはやむを得ないのだ。自分自身が生存、生活できないのに、どうして社会運動などができる? デモに行く交通費もないのに、何故集会やデモに行ける? 交通費を稼ぐつもりもなければ、その能力もないのだ。
だから私は、自宅にひきこもっている。
社会を1ミリたりとも変える余裕がない。自分自身すら変わらない、変われないのに、なんで他人を変えることなどできようか。世の中を変えることができようか。基本的に私は保守的である。現状維持、生存の維持以外関心がないのだから。
ここで一旦送る。