を巡って

『近代日本の批評』で柄谷行人らが戦前にシェストフ的不安が流行ったことに触れ、涎を垂れ流した芥川龍之介のほうがまだしも誠実だった、という意味の発言をしているが、こういうのって涎を流したから誠実、観念的だから不誠実という問題なんだろうか。
哲学的には、キルケゴールが『不安の概念』を書き、ハイデガーが『存在と時間』で「不安」というありように注目したという流れがある。
ちなみにシェストフはロシアの哲学者。著作集が邦訳されているが私は未読。ドゥルーズは『差異と反復』で彼に言及している。

近代日本の批評1 昭和篇(上) (講談社文芸文庫)

近代日本の批評1 昭和篇(上) (講談社文芸文庫)

不安の概念 (岩波文庫)

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存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

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差異と反復〈上〉 (河出文庫)

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差異と反復〈下〉 (河出文庫)

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悲劇の哲学 ドストイェフスキーとニーチェ (古典文庫 18)

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