唯ぼんやりとした不安

手近にあった哲学書を見た。ジル・ドゥルーズの『スピノザ──実践の哲学』(平凡社)とジョン・ロックの『人間知性論』(中公バックス世界の名著)を少々。それと、フランソワ・ズーラビクヴィリ『ドゥルーズ──ひとつの出来事の哲学』を少し。検索してみて、ズーラビクヴィリが自殺した、ということを知る(http://chaosmos.blog11.fc2.com/blog-date-200606.html)。自殺した哲学者を研究していた哲学者の自殺。軽く眩暈がするとともに、死への誘いと軽い驚きを感じる。

ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学

ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学

私は相変わらず、唯ぼんやりとした不安(http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/20_14619.html)に取り憑かれている。上記リンクの文章で芥川龍之介は次のように語っている。「自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」
この不安感の前には哲学も心理学も、芸術も、何の役にも立たない。

関係ないが、ヘーゲルフッサール等を一階に降ろしたのを思い出し、読もうと思い立って整理に赴いたが、予想外に一階にある書物が多く、全部を二階に持って上がるのは断念した。手近にあればヘーゲルフッサールメルロ=ポンティも読むかなと思ったのだけれども。
明日は図書館に行くつもりだ。今日は休館日の筈。