のためのメモ

何になりたいか。どうしたいか。なりたい自分は何か。簡単に言えば、哲学者=作家=音楽家である。しかし、現実には難しいのは承知している。渋谷慶一郎が、音楽家が食っていくには、大学から補助金を貰うか、著名になるかしかない、という意味のことを書いていたが、音楽家だけでなく文筆の道でも同じだと思った。大学の職を得ようと苦闘している友人らのことを想起した。彼らを自分と比べ、自分には能力、技能がないと思った。西洋哲学についても、日本近代文学についても、それほど知らない。音楽の知識も貧しい。職人にも批評家にもなれない。何者にもなれない。無としての自分。
インターネット上ではいろいろやっているが(Youtube&ブログ)、何か形になるものが必要かもしれない。CDを制作しようか、本を出してみようかとも思う。だが、先立つものがない。自費出版には金が掛かる。業者の食い物にされるのは厭だ。プリントアウトしてコピーしたのをホッチキスで留めるのはどうか。本という感じではない。
音楽か文筆以外、どんな仕事もしたくない。しかし、とりたてて才能があるわけでもないと思う。食っていくのは難しいと思う。注文に応じた生産ができない。私の音楽なり文章は自然発生的なもので修正なり計画化ができない。それは長所であると共に短所でもある。応用が利かない、潰しが効かないということだ。
とりあえず、土曜日のジャムセッションに行ってみようと思う。それで何か道が開けるかもしれないし、開けないとしても、それはそれで別に困らない。
ここで一旦送る。