寝る前の読書

ニーチェ善悪の彼岸』(新潮文庫)。
ニーチェがいかにヒュームに近いか。但し、ヒュームはカント以前、ニーチェはカント以後の哲学者である。ヒュームが退いたところで、ニーチェは勇敢に進む。
例えば、自己なり同一性の概念は誤謬である、しかし生に必要なる誤謬である。それを欠けば狂人となってしまうような類の、仮象である。

案外、ヒュームやニーチェも、(ラディカルに読まれた場合の)カントに近いのかもしれない。ニーチェは、カントの「超越論的綜合判断は可能であるか」という問いを、「そのような判断への信仰は生に有益であるか」というプラグマティックな問いで置き換える。それは、ヒュームに戻ってカントを批判することである。カントのように因果性を悟性「範疇」としたところで、ヒュームの懐疑は解消されない。その範疇表なるものがどこから来たかも分からぬのだから。だったら、ヒューム=ニーチェのように因果性は「信仰」「信念」であると言うほうが正直である。
が、ヒュームはそのような懐疑の世界、日常生活のまさに逆を行くような世界を生きることに堪えられなかった。だから彼は社交に復帰し、人間らしさ、生きている心地を取り戻す。哲学を放棄して。ニーチェは哲学を続け、最終的に発狂する。

さて、寝よう。

善悪の彼岸 (新潮文庫)

善悪の彼岸 (新潮文庫)