のためのメモ、続き

中年無職ひきこもりは死ぬしかないのか。
毎日、無為に過ごしている。1円も稼いでない。稼げない。
親から経済を勉強しろと言われるが、経済のことが何も分からない。経営のことはもっと分からない。賃労働も自営も起業経営も無理である。
毎日何もしていないのだから、パソコンも携帯電話も何もかも、いらないと言えばいらない気もする。単なる気晴らしだ。Twittermixiも。Youtubeも。
ジャズピアニストになどなれるわけがない。なのに夢を追っている。35歳にもなって。馬鹿な自分である。
図書館で借りてきたマルクス関連書籍(宇野弘蔵柄谷行人アントニオ・ネグリマイケル・ハート)を読むのもしんどいので、返却しようかと思う。読めたのは小説。島田雅彦『悪貨』。「彼岸コミューン」というのに、Q-NAMを重ねて読んだ。だが小説の核心はそこにではなく、偽札作りにある。
生きる情熱、生きようという気持ちがない。消極的な緩慢な自殺。
今の状態で何の手も打たないということ自体が、自殺行為だ。
職安にも行かない&行けない。失業保険も貰えない。権利喪失した。

シンガポール在住のジャズピアニスト、関根綾さんのアルバム『Inside, Out』を聴いている。ピアノソロアルバムである。彼女はプロとして立派にやっていっているのに、自分はいつまで経っても不能である。仕事ができない。やろうという気力もない。

性的欲望にも悩んでいる。恋愛感情や性的欲望を実現する見込みは全くない。悔しいと思う。
よく試験の夢を見る。学校の夢を見る。