出会い系

出会い系(倉数茂)であったところにNAMの意義も限界もあった。
NAMがなければ、あのように多様な人々が出会い一緒に何かをやろうなどということは考えられなかった。しかし、その多数多様な人々には一つ共通項があった。「柄谷読者であった」という共通項が。
NAM解散後、柄谷行人が反省の弁を述べて、自分の読者を集めてしまったと語っているのは或る意味当たっている。
NAM会員のなかには、NAMの理念を(ベタには)信じておらず、柄谷行人一人に恥を掻かせるわけにはいかないという、いわば義侠心から入会した者らがいた。失敗、挫折は目に見えていると。柄谷行人一人に恥を掻かせられないと。このような動機は高邁であろうが、私は、複雑な気持ちがする。ベタに信じていた者は馬鹿みたいではないか、それでは。