前田さん、私は三十五歳にして孤立し、いまや私を積極的に買ってくれる人や団体は本当に数少なくなっています。本当に希少な「攝津ファン」である前田さんに、もろもろのことについて、率直に手紙を書こうと思う。それが、今度の新しい連載です。
私は、2ちゃんねるとの戦いに、消耗しました。2ちゃんねるにはあることないこと書かれる。しかも、警察も手が出せないとのことで、事実上名誉回復は不可能です。私が、NAMからあかねへの寄付金三十万円を盗んだと言っている人もいる。そして、その虚偽を前提として議論を始める人も出てくる。それは本当に辛いし残念なことです。だけれども、どうしようもないのです。
その同じ2ちゃんねるでは、私に、右翼への転向、公安や在特会への参加協力を誘う書き込みもありました。私も、見くびられたものだ、と慨嘆しました。私が、幾ら落ちぶれたといっても、仲間を売るような人間に見えたのだろうか。また、フリーター全般労働組合で孤立しているとしても、何故、組合を、権力や在特会に売らなければならないのか。私は、転向したと書きましたが、私の転向とは坂口安吾の言う堕落なのです。つまり、人間が人間として生きるということ、生存の端的な肯定なのです。私は生きるために働き、生きるために仕事を辞めました。精神病=人格障害との付き合いの中で、そうせざるを得なかったのです。買い物依存症のせいで、借金を作り、それを返すために賃労働せざるを得なかったし、また精神病の悪化のせいで賃労働を継続することができなくなったのです。
私が、音楽家なり作家としてやっていけるかは、分からない。確率的に言えば、厳しいでしょうが、しかし、やってみるよりほかないのです。退職で、背水の陣を引いた。やるしかない、というところに自分自身を追い詰めた。勿論無理なら無理で、別の生き方を模索するしかないのですが。
自殺のことも考えます。自殺したら、三千枚あるCDを、タニケンに遺贈しようと考えていました。しかし、私は、当面「生きる」。音楽と共に、音楽によって生きる。だから、自殺しようなどと考えないほうがいいのです。当たり前ですが、当たり前のことが難しい。
前田さんやiwaさんのような、本当に数少ない友人に支えられて私は生存しています。家族だけで孤立していたら、どんなに辛いでしょう。しかし、友達なり仲間がいるおかげで、私は救われています。ありがたいことだと、感謝しています。皆さんのおかげで、私は生きることができている。奇蹟であり恩寵です。感謝なしには、生きられない。
ともあれ初回は、このあたりで送ることにします。