nqa

nutty queer associationistと以前は名乗っていた。気違いでオカマのアナーキスト、という意味で。
だが、段々とそう名乗らなくなってきた。特に何である、誰であるとも名乗れぬ個としての自分への意識が前面に出てきたから。
nuttyというのは、Thelonious Monkに同名の曲があるが、風変わりなとか、頭のおかしいとかいう意味である。私は以前から、その曲が好きだった。今でも好きである。
queerというのは言うまでもなく、性的少数者のこと。
associationistとは、プルードンの影響が濃いアナーキストのこと。
段々そう名乗らなくなったというのは、政治から距離を取り始めたからだ。
まず苦しい。なので、他者に倫理的に関われない。運動ができない。その自覚があり、共産主義無政府主義のシンパというより、保守的になった。
ノンポリというわけではないが、意味ある活動や表現ができないことを自覚した。
地域通貨や協同組合、フェアトレード等についても、その困難を(やってみて実際に)身にしみて実感した。
プレカリアート=不安定労働者運動に参加したが、『生きさせろ』(雨宮処凛)出版の頃の高揚を持続することはできなかった。自分も社会の正規のルートから外れた人間だと自覚しているが、困った人を助けるだけの余裕がない。こりんが言った、支援する側ではなく支援される側だという指摘が耳が痛かった。ニート支援とか言ってる場合じゃない、自分自身がニート、いやそれ以下なのだ。

ここで一旦送る。