十年後の自分

早稲田大学在学時、文学研究会というサークルに入っていたのだが、私の代の時の幹事長だった清水くんから、攝津くんは十年後は生きてないよね〜、みたいなことを言われた記憶があるのだが、今生きている。だけど、次の十年後には、生きていないような気がする。両親が逝ったら生活能力ゼロの私は即死亡だ。それ以前に、不健康な生活習慣で生活習慣病になっている可能性も大きい。今、マクドナルドでマックフライポテトが全サイズ150円のキャンペーンをやっていて、さっき老母と二人で行ってきた。マックはポテトフライだけは値下げしない、という伝説があったのだが値下げしたね。しかし田舎町二和向台マクドナルドとかTSUTAYAとか大資本だけが残って、中小自営はどんどん潰れているのだ。そこにCafe LETSを開こうという無謀な冒険。客=0の予感。それでもいいのだ、やっているふりだけしていれば。両親が生きている間の暇潰しだと思って。生存の暇潰し。惰民的な。私が死んでもいなくなっても世界社会には何の損失でもない。むしろプラスかもしれない。浪費しまくる奴が一人減って。

ところで今日、精神病院、爽風会佐々木病院のT先生から、前任者のH先生が「回避性パーソナリティ障害と診断したと告知した」と引き継いでいると聞いたのだが、私は、そのような診断告知を受けた記憶が全くない。私から、私は人格障害ではないでしょうかと尋ねて、H先生から、今は人格障害ではなくパーソナリティ障害と言うんですよ、とお返事いただいたという会話はあったが。どういうことよ、これ。