『生きる』-18

攝津が人間の屑と罵倒されたのは一度や二度では無い。最終的に攝津がキレたのだが、攝津はじっと我慢していた。攝津は、自分が人間の屑でも良い、と今では考えている。屑は屑なりに生きていくだけだ。
攝津は、「倫理的」であらねばならぬという当為に、疲れていた。他者を顧慮し、拝跪する──そういった姿勢に堪え難い窮屈さを感じた。だから攝津は転向したのである。自己本位へ。尤も自己本位と言っても漱石のような崇高な意味はありそうにもなかった。