『生きる』-17

攝津に、『重力』編集会議の鎌田哲哉から「寄稿要求」があったのは数年前の事である。鎌田は、攝津の事を人間の屑と罵倒しながら、Q-NAM問題の総括の寄稿を求めてきた。攝津は、迷ったが、その申し出を受ける事にした。
だが、攝津は鎌田哲哉西部忠の助言無しには自分の認識を深める事が出来なかった。だから、出来上がった作文は攝津のというより鎌田の作品と言った方が正確である。のみならず、些細な事で鎌田とも絶交してしまい、『重力03』への寄稿の話はなくなった。
ただそれだけの話である。攝津が、愚かであったというだけの事だ。

蛭田さんは、攝津が鎌田さんの認識枠組みを受け容れている事を批判していた。だが、攝津には蛭田さんの言う事が正しいとはどうしても思われなかった。
Q-NAM問題では、柄谷行人及び柄谷教の信者(過去の自分も含む)が一方的に悪いように思える。西部忠宮地剛穂積一平、Q管理運営委員やQ会員に非があるとは思われない。自分が「狂犬」と化してQに「自爆攻撃」を仕掛けた際も、悪いのは攝津だった。西部忠が述べていたように、西部らは防禦をのみしていたのであり、他方攝津は攻撃的だった。
中島さんが柳原さんに漏洩したlets-think MLの断片が攝津に漏洩され、それを読んだ攝津が激怒したのだが、怒る方がどうかしていた。lets-think MLとは、京都会議の後作られた内輪のMLだが、それを指して裏政治と言う事は出来ない。ただ、そこに転送されていた福井さんのメールは攝津を怒らせた。だが、それすら些細な事である。
宮地さんと穂積さんは、lets-think MLを完全な形で──一部伏字はあるが──公開しているが、憶測を呼ばぬようにとの彼らの英断は称えられて然るべきだと攝津は考えた。他方、NAMのML やamour-q MLは公開されなかった。何でも公開すればいいというものではないとしても、攝津はそこにNAM側の落ち度を見るしか無かった。