『生きる』-16

ところで攝津にとっては、賃労働も運動、スポーツだった。肉体労働だったから、体を動かし、冬でも汗をかいた。ピックが出来ないという評価を他人からされているようだったので、見返してやろうと一所懸命ピックした。それも、「有能な身体」を形成すべくしてやっている。
攝津は会社の送迎バスで、『労働』への長文の批評をくれたN君と隣合わせた。いずれは正社員を目指したいが難しい、など話し合ったが、ほぼ同年代、同じような壁にぶつかり同じような事を悩んでいるなと思う。
上原ひろみの『プレイス・トゥ・ビー』を聴き、二階に上がってきたら、テレビ朝日で失業者の死という特集をやっていた。深刻だった。気の毒だと思った。攝津は、自分は本当に恵まれている、と深く感じ入った。攝津の悩んでいる問題は、CD買い過ぎで破産寸前とか、軽過ぎる、笑いの対象にしかならぬ。今派遣切りに遭ったり派遣村に集まったりしている人達は本当に生活が大変なのだ。攝津のようにまさに自己責任でちゃらんぽらんしている駄目人間とは違うのである。攝津は、両親が健在だから、今の生活を維持出来ているが、もし万一の事があったら…。それは考えたくなかったが、いずれは必ずやってくる現実だった。