『生きる』-14

攝津はその日も八時間倉庫で働いて帰って来た。電車の中で、妹尾美里を二枚続けて聴きながら三島由紀夫の『禁色』を全集版(第三巻)で二百七十四頁迄読み進めるが、自分の根気強さに感心し三島の小説作法の巧さに感嘆する。攝津は、好きな小説家は芥川や三島なのに、自分が書く物は対蹠的なのを自ら不思議がった。●●子さんが批評したように、小説というより生活の記録である。嘘が書けぬというのは小説家としては致命的である。
ところで、攝津は戯れに、レインボーリングとワットとゲゼル研究会に再入会を申し込んだが、帰宅してYahoo!メーラーを開いたが返信は無かった。赤字を残して退会したのではなく黒字を残して退会したのだからフリーライダーではなく、故に再入会を拒まれる理由も無いと思うのだが。Qには帰れないだろう。あれだけの事を仕出かした後であれば。
攝津は徐々に、生活を旧に復しようとしているのであった。フリーター労組やレイバーネットに再入会したのもその一環だし、地域通貨に帰ろうとしているのもそうである。閑が出来たら津軽三味線もやろうと思っている。賃労働のために無惨に破壊された絆、繋がり、もやいを繋ぎ直そうとしているのである。とはいえ、覆水盆に返らずとも言う。一度傷付いた信頼が元通りになることはないであろう。それでもいい、と攝津は思った。懸命に「生きる」事さえ出来れば。自分の精一杯を尽くす事さえ出来れば。
ところで攝津は、買い物依存症を除いて、両親の望む通りの息子を演じようとし、その無理に疲れ切っている=憑かれ切っているのであった。若い頃は「カミングアウト」などもしたのだが、最近は親に性の話もしない。親も敢えて訊いてこない。親は攝津が結婚して子供を作ると思っている。笑うべき事だが。だが、攝津は「同性愛者」でも無い自分を感じている。同性愛者にすら、なり損ねたと感じている。攝津は新宿に、二丁目に全く適応出来なかった。後にはトラウマと恐怖症だけが残った。インターネットの出会い系は幸福な出会いを一切保証しなかった。街で可愛い少年を見掛けても声を掛ける事など思いも及ばなかった。要するに性的に、恋愛的に攝津はうぶであり素人であり、不器用そのものだった。攝津は自らの醜さに引け目を感じていた。メタボリックに弛緩した自らのだらしない肉体が他者にどう映るかを考えて、攝津は憂鬱になった。といって、本気で減量に取り組む気も無かった。つまり攝津は美についても真剣でなかったのである。他の諸々に真剣でなかったように。