『生きる』-13

思い返してみると攝津がNAMに入会しようと思ったのは西部忠LETS論を読んだからだった。よく分からないが、LETSは面白そう、楽しそうだと感じたのである。その感覚は今も変わらぬ。娯楽としてのLETS、というエッセイを書こうと思っている程だ。小市民(という言葉で肯定も否定も含意していない)の娯楽としてのLETS。生活や生存を賭ける程のめり込んではならぬが、楽しむ分にはいい。ただ、独りでは楽しめぬ。最低、数名居なければ。
Qは楽しかった。投げQ、なんてのが流行ったりして。物質的というより精神的に充実していた。山城むつみが指摘したように、資本主義の周縁でしか流通しなかったというのは確かだとしても、まー始めはそんなもんでしょ、と攝津は思った。産業連関内包説と言っても、超長期的に見ての話でしょ、と。僅か一年で成否を判断する事は出来ぬ。
貨幣発行権を各人が持つ事こそが真の人民主権だというような議論もなされていたのだが、確かに貨幣を発行してみる、それが相手に受け取られる、というのは新鮮な楽しみだった。NAMで働けばQはどんどん入ってくるし、それを使うのは楽しかった。倉数さんが言うように名誉、というか精神的な楽しみに過ぎぬとしても、それは充実した体験だった。
攝津が、柄谷祐人、後藤学、福西広和の不正高額取引に激怒したのは、まあママゴトかもしれぬがお互いにリスペクトを保って成立していた「Qの世界」を引き裂き破壊する企てだと感じたからだった。信頼を破壊する事で、Qの価値を下落させる。意図的な地域通貨インフレ。柄谷行人がやった事も同じだった。信頼を引き裂く事でQ自体の価値を下落させる。信頼通貨という幻想を破壊する。幻想の破壊は必要な事だったのか? 攝津は自問する。簡単に答は出ない。
Q退会後、攝津自身が、Q破壊に加担したのだった。それはQ代表団に騙されていた、という誤解に発したものだったが、我ながら愚かな事をしたものだと後悔している。自殺者迄出してしまった。馬鹿げた、そして残酷な事だったと思う。
今、地域通貨は流行らぬ。皆生活が苦しいからだ。地域通貨は生活苦を今すぐどうにかする物ではない。或る程度自立した、生活に余裕のある人が楽しむのが地域通貨である。だが、不況もいずれは改善されるだろうし、地域通貨も何処かで細々と続けられるのだろうと攝津は思っている。攝津自身、meta、 LETS、sets、newと複数の地域通貨を運営している。取引は無いが。それは攝津自身に信用、信頼が無いからだと自省した。