十年一昔

十年一昔
二〇〇九年八月十九日(水曜日)
攝津正

十年一昔、と言う。
それだけの歳月を生きてきた。
或る意味では変り、或る意味では変らぬ。
音楽、哲学、文学を始め、政治、運動を止めた。活動家から労働者、生活者に変った。
二十代から三十代半ばになった。もう若くはない。そのことは、よく身に沁みて分かっている。

時間が解決する事柄があり、解決できぬ事柄がある。
Q-NAMは、自分にとっては、終った事柄である。思い出の断片はあるが、もう忘れたし忘れたい(しかし強迫的に回帰してくる)事柄である。
Q-NAMにおいて、自分は矛盾に苛まれていた。資本と国家を揚棄する共産主義運動という大言壮語と、実際にやっているQバザーという営みの小ささの乖離に。Qバザーを、何年続けようと資本主義が終るとは思えなかった。その直感は正しかったと思う。
自分は正確な認識が必要だと考えている。事実を論理的に分析し、答えを出していくことが必要だ。いつまでも夢物語に溺れていては、いつまでたっても「生きる」ことはできぬ。生きるとは現実の矛盾と格闘することだ。夢想に閉じ篭ることではない。自分はLETSよりも円を選ぶ。それは「今ここ」を選ぶということだ。円でなければ、住宅ローンも借金も返せぬ。だから自分には、円が必要なのである。否応なしに、資本主義の現実、お金がなければ生きていけないという残酷な現実に直面せざるを得ぬのである。自分の転向は、生き延びるためのやむを得ぬ態度変更であった。それを責める人があるならば責めれば良い。小林秀雄流に放言するなら、自分は馬鹿だから反省などしない。

思い出の一つは、NAMの副事務局長を務めていた頃のことだ。早稲田のCafe Sで大きなスクリーンでNAM会員がサッカー観戦をしている。全国大会の後だ。自分はそれを見ながら、事務局長に、今のままではまずい、ということを言い続けた。だらしがない、「何もしない」NAM。無為を誇るNAM。大言壮語と実践が釣り合わぬNAM。それが駄目だと思えた。どうにかしなければ、という焦りはあった。だが、実際に何をどうすることもできなかった。何もできぬままNAMは終った、崩壊したのである。

十年が経ち、自分は自分に共産主義は可能ではないと判断している。不可能なる共産主義。倫理的経済的、というのも皆が口にしたが、自分には出来ぬと思っている。フェアトレード有機農業の商品を買う金がないし、それをどうにもできない。持続可能ではない。自分が立ち上げたCafe LETSというフェアトレードショップには、ただ一人の客もなかった。自分は落胆したが、落胆してばかりもいられないので、働きに出た。それからもうすぐ一年が経過する。自分は多くのことを学び、多くのことに堪えてきた。自分は或る意味鈍感になり、或る別な意味では強くなった。加齢が自分を変えた。自分はもう、「境界霊」ではない。不可能なるものの巫女ではない。自分はただ、現実に生きる労働者であり生活者である。単に生きることを肯定する。生きているから、生きる。生きるというのは義務でもなければ権利でもなく、現実である。