続き

言いようのない不快の念と拒絶の意志は、例えばカントの『道徳形而上学原論』において彼が自殺は自己に対する内的完全義務への違反である、などと述べるのを読むときに感じる。

道徳形而上学原論 (岩波文庫)

道徳形而上学原論 (岩波文庫)

そんなこと言ったって、死ぬ奴はそれなりの事情を抱えて死ぬのである。義務がどうの、という語りになんの意味も感じない。
また、「派遣切り」などについて、NHKノーベル賞作家の大江健三郎が登場して、若者に対して楽観主義を説き、亡くなったサイードが、パレスチナ問題について、人間がやっていることだから人間が解決できないはずがない、と語ったことに言及し、希望を説いていたが、私にはそれは空疎にしか響かない。大江健三郎は好きな作家だし尊敬しているが、この発言はいただけない、と思った。
ホリエモンが太田総理に出演して、ネットカフェ難民について、冷暖房付きでネットもできるなんて恵まれている、と語ったときにも反感を覚えた。だったらおまえがその生活やってみろ!と言いたかった。
とにかく、困窮なり希死念慮というのは現実の問題なのであり、それを生きる個々人の特異な問題なのであって、安易な解説を許さないものだと思う。