ウィリアム・ジェイムズ「「意識」は存在するのか」

わたしが反対しているのはただ、「意識」というこの言葉が何らかの存在者を表わしているということのみであり、わたしは逆に、この言葉がある機能を表わしているということを強調したいのである。

わたしのテーゼはこうである。もしもわれわれが世界の内にはただひとつの原初的な素材や材料のみが存在し、この素材によってすべてのものがつくられているのだという想定から出発するならば、そして、もしもわれわれがこの素材を「純粋経験」と呼ぶのであれば、そのときには、認識するという作用は、純粋経験の特定の部分どうしが互いにもちうる関係として容易に説明できるであろう。この関係そのものが純粋経験の一部分であり、その関係し合う「項」(terms)の一方が認識主観あるいは認識の所有者、認識者となり、もう一方が認識される対象となるのである。

純粋経験の哲学 (岩波文庫)

純粋経験の哲学 (岩波文庫)