Queer論

自分がオカマ Queerであることを否定しようとした矢先に、クィア的?欲望が噴出する。「少年のちんぽ切りたし秋の夜に長々し夜を独りかも寝む」。わが手で少年を去勢したら、どんなに気持ちいいだろうという不埒な夢想。社会にとって危険人物たる徴表たる、アブナい夢想。──夢想には罪はない。が、私の欲望は決して満たされないし、満たされてはならぬであろう。
性について、──性欲についていろいろと反省し、自分が愛する者に最大限の苦痛を与え、快楽の源を奪うような行為を何故欲望するのかと自問してみた。認知療法的に?或いは合理的に考えれば、そのような欲望なり夢想には根拠がない。愛する少年から性器を奪うのではなく、それを愛撫するほうが愛人としては適切な振る舞いであるだろう。
だから、私には私自身がよく理解できぬのである。

──空想を逞しくして、異性や同性との、多様な性行為を夢想する。しかし、私はパキシルのせいで性的不能である。……私は独身者にして性的不能である。何か本能に欠陥があるのだろう。私には、相手を見つけたり、性交することが、どうしても出来ないか、或いは不快な結果に終わる。私も、性をもっと楽しみたいのであるが、しかし、どうしてもできない。どうすればいいのか!