賃労働八日目
まず、このエントリーが長文になるであろうことを述べておきたい。携帯電話で読んでいる人には負担になるだろうから、あらかじめ注意しておく。
私のこのブログは雑食系である。日常生活のことから、性的な妄想、政治、労働、哲学、文学、映画、音楽など多様な分野に関して書く。電車の中で、性的な事柄は別のアカウントを取得してそこに書こうかと思ったが、選別をしないという私の主観的格率に反するのでやめた。
というわけで、賃労働八日目だが、精神的・神経的にどうのこうのというより、体がきつかった。疲労困憊、満身創痍である。といっても、大したことはないのだが。全身の傷なり痛む箇所を列挙すると、こうなる。
- 左手の薬指の爪と右手の人差し指の爪
- 右太腿の引っ掻き傷
- 左足の靴ずれ
- 足腰の痛み
- 右肩の痛み
作業中、歌うことはなかったが、「踊るポンポコリン」の替え歌で以下のようなフレーズが執拗に頭に思い浮かんできて困った。
誰だって分かってる
彰晃は悪い人
サリンばら撒き
意味は特にない。大学時代に歌っていたような気がする。
電車内では、上原ひろみ『スパイラル』を聴いていたが、『ビヨンド・スタンダード』の金字塔的達成から振り返って回顧的に彼女の歩みを検証してみるといろいろ面白い楽しい発見があるような気がしている。私はもともと、上原ひろみは、バンドのベースの元氏さんが面白いというので好奇心から聴いてみた。最初はそれほどいいと思えなかったが、チック・コリアとの『デュエット』に驚嘆し、以後ファンになった。特に最新作『ビヨンド・スタンダード』は幾度聴き返したか分からぬが、本当に素晴らしいと感じている。上原ひろみを、チック・コリアの亜流に過ぎぬと言う人もいるが、私はそうは思わぬ。むしろチックより面白いと感じている。チック・コリア自身も、「彼女は僕より才能がある」と上原ひろみを讃えていた。社交辞令かもしれぬが、しかし、評価しているのは確かだと思う。電車内で聴いたもう一枚は、アート・ペッパーの、『ミーツ・ザ・リズム・セクション』。私は、1950年代のアート・ペッパーが大好きである。特に、凡庸な意見だが、『ミーツ・ザ・リズム・セクション』と『モダン・アート』は何度聴き返しても飽きぬ。自然発生的な即興の妙をこれほど見事に伝える演奏は他にはないと思う。
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話は変わるが、疲労について。晩年のジル・ドゥルーズが自著『差異と反復』を回顧して、疲労について書いたくだりが気に入っていると述べていた。それは第二章の反復論だ。ドゥルーズはベルクソンを参照しつつ、疲労とはコントラクシオンが正常に働かぬ状態だという意味のことを述べていた。では、コントラクシオンとは何か。コントラクテというフランス語動詞に、「習慣をつける」という意味があることを知ると、その意味が分かる。つまり、ベルクソンなりドゥルーズがいう、感覚-運動的紐帯(=身体)が正常に機能している時、外界からの新しい刺激を受け止めると適切に応答することができるようになる。例えば、仕事場で新しい作業を命じられた時、最初はコツが分からずともやがてどうすれば能率的か飲み込め、慣れる。つまり、新しい習慣が身につくわけである。さて、疲労とは、このコントラクシオンが適切に働かぬ状態である。つまり、感覚-運動的紐帯が外界からの刺激に適切に応答できず、適切な習慣が形成されぬ状態だ。これは、後年の大著『映画論』における、第二次世界大戦後の映画における感覚-運動的紐帯の弛緩ないし崩壊と新しいイメージという論点にダイレクトにつながる。
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私の意見では、第二次世界大戦の惨禍を最も深刻に受け止め、それを作品化して表現したのは、例えばアメリカではなく、敗戦国である日本やイタリアの民衆なり芸術家である。例えば、ネオ・レアリスモはイタリアで興った。日本でいうと、これは小説だが、野間宏の『暗い絵』の冒頭の異様な文章などがそれに当たると思う。余談だが、『真空地帯』を書いたがために、野間宏は不当に貶められ、忘却されており、大西巨人が批評家や文学読者らに過大評価されているのとは対照的に、過小評価に甘んじていると思う。『真空地帯』については読んでいないので論評は差し控えるが、少なくとも初期の『暗い絵』の表現は真に独創的で「戦後的」なものだったのではないか、と私は思う。
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さて、ここで一旦送る。