徹底解剖『パタリロ!』の魅力

『徹底解剖『パタリロ!』の魅力』という本をいつか出したいと思っている。

パタリロ!』全巻を幾度となく読み返し、全て暗記しているというような人は、私くらいしかいないだろう。画風の変遷から、ストーリー的なもの、背景に至るまで、解説は私が適任者だと信じるものである。

まず『パタリロ!』は、東西冷戦という大枠の中での物語である。バンコランはイギリスの諜報部員という設定になっているが、パタリロの物語全体が、共産主義=悪の脅威から自由主義(資本主義)陣営を守るというイデオロギー的偏向を持っている。だからいいとか、だから駄目だとは私は言わない。ただ、東西冷戦が過去のものになった今、パタリロを読む人にはそれが躓きの石になって楽しめないかもしれないとは懸念する。東西冷戦状況下にあって自由主義陣営を擁護するというイデオロギー的姿勢は魔夜峰央の著作全般に露わである。

そして、同性愛についてだが、少女漫画における同性愛表現が擬似異性愛的なものだということは一般にいえると思うが、パタリロにおいては、著者自身たる「ミーちゃん」がたびたび作中に登場しては自分は異性愛者であると強調したり、少年であるはずのマライヒがなんと妊娠・出産したりするところにも明らかである。

パタリロには素直に泣ける作品、笑える作品が数多いが、バンコランの生い立ちの物語もそうである。バンコランは少年の頃、よく笑う子どもだった。だが、叔父に父親を謀殺され、母親の借財のために男に身を売るような経験をして、笑わない子どもになった。そして、イギリス諜報部に入って初めてできた同性愛の恋人も、敵国で拷問を受け、洗脳されて、敵に寝返っている。バンコランが麻薬に関して怒りを露わにするのは、元恋人が麻薬漬けにされ洗脳されたからである。

ああ、もう一度パタリロ読みたいなあ。