吾等屑の希望は戦争に非ず、絶望が無差別殺人なり。

今日の事件は、池田小事件を想起させるが、記念日現象というか、不吉な同期が感じられる。犯人がそれを自覚していたかどうかは分からないが、今回の事件は池田小事件の反復とも思えるものだ。そして、この事件は、吾等屑の希望が戦争にあるのではなく、絶望が無差別殺人(通り魔)として現象していることを示している。

生活に希望が見出せない、だから自滅的に自暴自棄になり、他者を巻き込むというものだが、今全国規模で、或いは世界大で、そういう人は増えている。周りにも多いし、私自身もその一人だ。問題は、人を殺さずにこの絶望感なり閉塞感を飼い慣らすことだ。そうやって「終わりなき」日常を生きろなどという説教は何も言ったことにならない。レーニン帝国主義戦争を内乱(革命)に転化せよと言ったが、吾等屑は、自暴自棄な自傷他害行動を革命運動に転化せねばならない*1

*1:911の時に柄谷行人は「自暴自棄になるな」と訴えていた。彼の言動は大半屑だと思うが、自暴自棄になるなという訴えは正当なものだと思う。