短気な自分に嫌気がさす

一週間前、あかねに入った時のこと。Qという水産大学出身のフリーターの二十歳過ぎの若者がやってきて、ぼくに対して、「攝津さんももっと働いて、労働の意味を理解するようになれば、攝津さんのブログの言葉も説得力あるものになる」と言った。その場では何も言わなかったが、帰宅してぼくは激怒した。それで、ブログにそのことを綴り、Qを批判した。

Qはぼくのインターネットラジオを聞いて、二度も労災?の相談をしてきており、ぼくはその都度フリーター労組労働基準監督署を紹介してきた。そのぼくの言葉に信用性がないと言うのであれば、何故ぼくに労災の相談をしたのか。それも一度ではなく二度も。

要するに、「何も分かってないくせに、生意気言うな」とキツい口調で問い詰めたい気分だったのだ。ぼくだって、進学データシステムや明光義塾などでパートタイマーとして勤務した経験が何年もあり、またグッドウィルでも働き、実家の芸音音楽アカデミーでも働き、あかねでは無償労働すらしている。それなのに、何故十歳前後も年下のガキから、「労働の意味が分かってない」みたいな説教食らわなきゃいけないのか?

繰り返すが、ぼくの言葉に説得力なり信用性がないというなら、そもそもぼくに相談してくるのがおかしい。ぼくが呑気で怠惰な遊び人で、その言葉に「重み」がないというなら、それはそれでいいが、そう判断しつつその当の相手であるぼくに労災の相談をしてくるのはおかしいだろう。

というようなことを書き連ねながら、こういうことをインターネットラジオでも喋ったのだが、若者の言葉をスルー出来ず激昂してしまう自分の極端な狭量さに、自分で自分が厭になったりもした。ぼくは間違ってないと思うのだが、若くても威張りたい時だってあるんでしょ。くらいに収めておけば良かったのかもしれない*1

性格悪し!

*1:こういう時、究極Q太郎さんには勝てないな、と感じる。究極さんは柔和・穏和で、滅多なことでは怒らない、寛容な人柄だった。多くの人が──ぼく自身を含めて──そんな究極さんを慕ってあかねに来ていたのである。やはりぼくには、究極さんの代わりは出来ない。