雑談

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つまらない仕事でも芸音にいるといるべきところにいる、やるべき仕事をしているという感じがするのでいいね。それと幾ら探しても出てこないなくし物、これ以上探し続けるのはストレスになるので、再購入することにしました。ジュニア・マンスの『ジュニア』と秋吉敏子の『孤軍』。結構ダブリで持ってるCDって多いよな。勿体ないような気もする。

インターネットやピアノには不自由しないが、三味線を弾くのはちょっと辛いね。バチを振り下ろす時に痛みが走る。今日もリハビリテーションに行ってきたが、地道に直さないとね。インフルエンザのほうはいい模様。とはいえ咳も出るので、タミフルと普通の風邪薬と解熱剤と飲んでますが(笑)。

2/1(金)は精神科、爽風会佐々木病院の診察日だね。精神分析に興味があるとおっしゃる主治医のH先生と対話が成立するのかどうか。ぼくは精神分析には懐疑的なんだが。ぼくは単純で、お金がなくなると不安になる、お金が保障されると不安が和らぐ。誰でもそうかもしれないが、簡単なものです。だから定収入が切実に欲しいのよ。CD買っても破産しない保障が欲しい。CDで破産なんか恥ずかしいでしょ? いかにも自制心のない(実際ないけど)間抜けみたいでさ。

精神分析は富者の娯楽ですよ。自己だの現実界だのと遭遇したり(笑)、出会い系快楽を求めてるんでしょ。何か充実した語りとかね。貧乏人は映画を観るか音楽を聴くほうがいい。分析に一時間8,000円も払うくらいなら、その金でCDを買いたい。でも俺そんなに楽観できる病状でもないって穂積クリニックの先生から言われてるんだよな。自尊心がポキポキ折れ曲がった状態というか。心の複雑骨折未治癒みたいな。

リー・モーガンの『ザ・クッカー』聴いてるが、いいね。その後秋吉敏子ジョン・ゾーンを聴いた。ジョン・ゾーン、アマゾンになく、高田馬場のMUTOにしか置いてない10枚シリーズがあるんだが、買いかどうか。さすがに10枚一遍に買う勇気は無いな。勇気っつーか金が無い(笑)。そんなにジョン・ゾーン好きなわけでもないしさ。だけどジョン・ゾーンとかマイケル・ブレッカーとか最近の人も押さえとかないと最新の話題についていけないかと思ってね(笑)。ま、リアルでジャズのこと喋れる友達っていったらタニケンくらいしかいないわけだけど。

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若い頃のカルーセル麻紀美輪明宏やピーターの写真を見たことがない世代が育っているのね。若い頃の彼(女)らは本当に綺麗だった。今でも現役で綺麗! と敢えて言い張る人もいるかもしれないけれど(笑)、彼(女)らの10代、20代は本当に美しかった、「妖艶」だった。今時ああいう美というのはどこにも求め難いのではないかと思う。歳を取るって悲しいね。やはり若さを失うのは辛い。俺は三十代という微妙な年齢にいるわけだけどさ、十代の頃の勢いなりを失ったのは寂しく感じるよ。俺は美少年系じゃなかったんで、綺麗ではなかったけどね。若い頃もさ。俺は自分が案外プラトニックなのかもしれないとも最近考える、つまり俺は自分の肉体において美を実現するのを諦めたのね。で、音楽にそれを託すようになった。ジャニ系とかいるけど、基本的に音楽の美は肉体(外見)の美とは無関係なわけでしょう。そういう音の調和と不調和の均衡に美を求めるようになった。俺は飽くなき美の探究者なわけだが、そういう自分の美学的?立場性そのものが危ういというか、堅固でないというか、不確かだとも感じている。音楽において純粋に美が実現されるというわけはなくてね、資本主義とか国家とか、民族だとか、いろんな要素があるわけでしょ。批判精神を失ったらボケる一方だろうね。だから批判精神を失わず、ニヒリズムにも陥らず、探求と実験と創造を継続すべし、っていうことだろうね。

確かに下手だけどさ、俺は実作者としての自負もあるわけ。自分で弾いてるぞっていう。聴いてるだけじゃないぞっていう。ま、バド・パウエルと競争しても勝てないですよ。でも、上原ひろみ鳥尾さんに負けると思ったら悔しくない? そんな心理ないですか。上原なんて凄い順調なジャズ人生だけど、それに比べたら俺のジャズ人生は屈折している上不毛だけど、でも負けたくないね。気概だけは。気概だけはある、そういう自分でいたい。

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正直言うと今度の事故で、闘うぞとアガってもいるけど、同時にダウンもしてるっていうか、自分で自分に絶望もしてる。これまでは、いよいよ金無くなったら日雇い派遣があると思ってたのね。でも、日雇い派遣労働も無理ってことがはっきりした。じゃあ、俺みたいなのってどうやって食ってけばいいの。母親は安易に音楽で仕事をというけど、そんなの簡単に見つけられる情勢でもなければ、腕前でもないじゃない。自分の力量は自分が一番よく知っている。『チュニジアの夜』も弾けない俺……。ジャズピアニストは名乗れないね。

グッドウィルとかね、フジフーズとかね、そういう構造部分への怒りはある。怪我した俺を40分以上放置した奴らへの怒りもある。けどね、根底にね、日雇い派遣労働すらまともにこなせない俺の駄目っぷりへの絶望感があるの。まるでパゾリーニの『アッカトーネ(乞食)』の主人公みたいだね。実際俺は乞食(ネット乞食)やってるわけだけどもさ。

技術も経験もない、やる気もないとなればどこも雇ってくれないでしょう。どこからも雇われなければ自己雇用? そんな世の中甘くないよね。Cafe LETSを開けても客は来ないでしょう。そういうことを考えれば考えるほど鬱々として、出口がなくて、もう死にたくなる。

あ、今ジョン・ゾーンが007の音楽をパロってるよ。面白いな。こういうのが笑える。息抜きの瞬間。

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もしこの世に、「美しい」音楽だけがあればいいのなら、ノイズは要らないなら、モーツァルトだけがあればいいでしょう。しかしそんなことはなく、これだけ多数多様な音楽、商業音楽に非商業音楽、宗教音楽に世俗音楽、アカデミックなクラシック/現代音楽にジャーナリスティックなジャズ/ロック/ポピュラー、パンク、レゲエ、ラップその他など、いろいろ存在しているのは、少なくとも西欧の或る特定の時代の美意識の最高規範だけが世界を制覇しているわけではない、ということを示してはいるよね。

ま、世の中の音楽の99%は屑かもしれない。たまに東京事変目当てで『ミュージックステーション』とか見ると絶望するね。今こんな酷い音楽が売れてるのかと。でも、掃き溜めに鶴というかね、東京事変だってUAだって音楽番組出るわけだからね。YUKIchara中谷美紀も……。メジャーなアーティストだって全部駄目だとは俺は思わない。中には特異ないい仕事してるミュージシャンも多いと思う。

とまあこんなことぬかしてる俺は、アドルノが口を極めて非難した「通」気取りっつーことになるかな? でもおれは「通」を気取りたいんじゃなくて、美意識/感性の組み替え実験を進めたいだけなんだ。どれだけの音楽体験をすれば、美意識/感性を組み替えることができるか。音楽の最後の出口は沈黙──ジョン・ケージ的な音響の聴取なのか? これは重過ぎる問いだね。俺はデレク・ベイリーなども最近聴き始めたばかりで、フリーインプロヴァイゼーションなりには本当に疎いし、よく分からないんだ。俺は俺で、フリーにやってきたつもりだけど、手癖もあるだろう。フリーにおける手癖の問題ってのも重要だよね。「あれは手癖に過ぎない」という非難が成り立つ一方、世の中には手癖の普遍化しかないという見方だってできるわけだよね? モンクにはモンクの、テイタムにはテイタムの、パウエルにはパウエルの手癖があった、そういう見方もできる。ま、この問題は今後も考えていきたい。