あかね水曜日誌 2007年9月5日/攝津正(あかね水曜当番)

今日は「ジャズを楽しむ夜」と銘打って告知したが、客足はさっぱり。当番のYと一緒に1枚1,000円のソウル・ジャズを掛けながら待っていると、常連のN(彼は東大卒で、卒論はデカルトだった)がやってくる。Nは、あかねに来るなり、ごろりと椅子に寝そべる。引っ越し準備や仕事などで多忙というYも、3日間もまともに寝ていないそうで、眠そうにしている。こんなお寒い状況ではあったが、ジャズを楽しむ夜を始めることにした。

まず一枚、どれでも良かったのだが、マイルス・デイヴィスの『バグス・グルーヴ』を掛けてみた。モダン・ジャズの美意識の最も洗練された一枚として挙げてみた。これは、「ザ・マン・アイ・ラブ」が入ったもう一枚のCDとともに、マイルスとモンクの唯一の共演にして「喧嘩セッション」として名高い録音である。つまり、マイルスがモンクに、「俺の後ろでピアノを弾くな」と言ったので、マイルスのトランペットがソロを取っている間はモンクのピアノは沈黙している。この喧嘩セッションについて私は、単なる喧嘩として片付けるのではなく、近代(モダン)の美意識とそれを逸脱するものの争いとしてみなければならない、ということを語った。即ちモンクは、「モダン」ジャズに属しつつそれをはみ出る要素を持っているのだ。モンクはビバッパーではないという議論がよくあるが、それはモンクがハーモニーの革新や不協和音、ぎこちないリズムの積極的導入などでモダン・ジャズ=ビバップを準備した巨人であるとともに、モダン以前のジャズ、デューク・エリントンアート・テイタムらの要素を色濃く持っているミュージシャンであることを示している。

次にジャズの原点というか源流を探るために、ルイ・アームストロングの最後の傑作と言われている『プレイズ・W.C.ハンディ』を掛けた。 W.C.ハンディはブルースの父と言われている人物で、私も愛奏している「セント・ルイス・ブルース」の作曲者である。そしてサッチモルイ・アームストロングのこのアルバムの冒頭はその「セント・ルイス・ブルース」である。作曲者W.C.ハンディがこの録音を聴いて涙したというエピソードが伝えられているが、実際この演奏は非常に深く感動的である。私は、ジャズの起源はそもそもはっきりしないという話をした。ジェリー・ロール・モートンがジャズを作ったのは俺だという発言をしているがその発言には信用性がないとされており、ジャズの本当の起源は歴史の闇の中にあること、が、ジャズ草創期の雰囲気を今に伝える巨人を誰か挙げるなら、サッチモルイ・アームストロングであることなどを語った。そして、先程のマイルスの演奏に窺えるようなモダン・ジャズの美意識との違いを解説したのだが、先ず多声的である。モダン・ジャズでは、各人が順番にソロを取っていき、その間は他のソリストは吹かないのが常識だが、サッチモのこの演奏では、トランペットの背後でトロンボーンが、トロンボーンの背後でトランペットが自由自在に吹いている。この多声性、多様性はモダン・ジャズが失ったものの一つであり、モダンを乗り越えようとしたミュージシャン、例えばアルバート・アイラーが回復しようとしたものであった。もう一つは、歌と演奏が分離していないこと。モダン・ジャズでは、チェット・ベイカーなど一部の例外はありつつ、ジャズ・ヴォーカルはヴォーカルという特殊なジャンルと認識され、演奏自体は、歌や踊りから切り離されて純粋化されている。しかし、サッチモの演奏では、演奏と歌が分離されていない。

最後に、バド・パウエルの後期の名盤『セロニアス・モンクの肖像』を掛けた。バド・パウエルの絶頂は勿論47-51年にある。53年以降のパウエルは著しく不安定であり、テクニック的にも衰えが激しいというのは常識になっている。しかし、そんなパウエルが、若い頃にもなかったような人間味や哀歓を表現するようになった。それはこのアルバムの、例えば「ゼア・ウィル・ネバー・ビー・アナザー・ユー」の演奏にも感じ取れることである。フィッツジェラルドは、勿論人生は崩壊の過程である、と書いた。ジャズ・ミュージシャンほどその言葉をしみじみと感じさせる人達はいない。チャーリー・パーカーバド・パウエルセロニアス・モンクビル・エヴァンスといった人達は皆、一つの崩壊を生きた人達なのである。そこから、ジャズの、集団的でありながら深く個人的であるという性格が由来する。

と、音楽を掛けているうちに、Cが来店。Cは赤字のあかねに10,000円もカンパをしてくれた。有難いことだ。CはiPodを持ち歩き、あかねなどでも英語学習を続けている奇妙な女性だ。私が会ったのは2度ほどしかないが、頻繁にあかねに通い詰めているらしい。

台風が近づいているし、Yが睡眠不足で疲れているようだったので、この日のあかねは22:40で閉店し、帰路に就いた。客は少なかったが、それなりに楽しい一日だったと思う。