狂気の解放?

私は長年(高校生の時から)ドゥルーズ=ガタリを読んできた者ですが、ガタリの臨床実践に関する情報がもっと入ってくればいいのにな、と思っています。今公刊・翻訳されている限りでいえば、『精神の管理社会をどう超えるか』などから推察するよりほかありません。

そこからは、ガタリが、「役割分担表」を重視して、病院なりデイケアなりの施設での役割の固定化を打破しようとしていたことや、例えば「料理を作る」といった具体的でちょっとしたことから生を変えることを目指していたのが分かります。

また、ガタリは、症例報告が極端に少ないのですが、しかし『精神分析と横断性』に一つあります。面白いのは、カフカを思わせる若い患者に、カフカのテキストを筆写するという療法?を提案していること、面接への「第三者」の導入としてテープレコーダーを持ち込み、次回面接時に相互の合意のもとにテープを消去していたことなどです。

私が個人的に好きなのが、ネグリの証言で、ガタリが或る患者を治療しようとしてどうにもできず、ただ泣いていた、というエピソードです。ガタリが実に人間味溢れる人であったことが窺われると思います。

「狂気の解放」なるものが、人間の潜勢力なり創造性の解放であればいいのですが、実際には患者=受苦者らはもろもろの症状に苦しんでいます。それをどうすればいいのか? というのが、木村敏神田橋條治の「反精神医学運動」への批評であった、と思います。

精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から

精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から


精神分析と横断性―制度分析の試み (叢書・ウニベルシタス)

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未来への帰還―ポスト資本主義への道

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異常の構造 (講談社現代新書)

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追補 精神科診断面接のコツ

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浅田彰の紹介にも問題があったかもしれないが、フロイトフッサールハイデガーフーコーを参照して精神疾患を考えるのは意義がある仕事と看做され、ドゥルーズ=ガタリのほうは敬遠され舐められてるみたいな現状には苦々しさを覚えています。