エピステーメー/ドクサ2

エピステーメからドクサに遡行するということは、科学的言説が構築する「客観的」世界から生活世界へと遡行するということである。つまり、われわれが日々言葉を喋り、他者と何かを交換し、労働し、遊ぶ、そうした時間-空間の論理と法のア・プリオリと歴史性を問うということである。

人間が人間である限り、言い換えれば身体構造などがサイボーグ化などで極端に変容させられない限り、共通な営みというものはあるだろう。が、縄文時代の人類と、例えば21世紀日本の人類が、同じ人間だからといって同じ生活を営んでいるわけではない。資本主義の発展と科学技術の発達が、古層の経験を隠蔽している。しかし人間そのものは恐らくそれほど変わらないわけだろうから、急速に発展する外的環境と人間の心身の間で齟齬をきたす場合が多いように思う。それが精神疾患などとなって表現されるのではないか。神田橋條治が書いていたが、人間の脳は約3万年前に完成していたので、その当時の刺激が最も脳の養生には良いはずだという。3万年前の人類の生活を想像するのは困難だが、われわれの本能ないし感性で、或る種「野生化」した音楽なり刺激を求めているのかもしれない。