救われないジャズ・フリークとして

私はジャズが好きだ。のみならず、私の両親もジャズメンだった。といっても、全く有名ではない。私の実の父親と母親は、大阪などのクラブで、バンドで入っていたのだ。その頃の話はよく聞いた。母は大金を稼いだそうだが、父が相場に手を出しすってしまった。全く駄目な人生を歩んできたのだ。

父はソニー・ロリンズらが好きだったというが、私は父のプレイを聴いたことはない。物心つく頃にはもう離婚していたし、レコードも出していないから、聴く機会がなかったのだ。私の両親は、ジャズメンといっても、アーティストというより、職人・芸人であり、周辺的な位置に属していたといえる。

そんな私は、小さい頃から、セロニアス・モンクの『ブリリアント・コーナーズ』などに接していた。それをごく自然に聴き、いいなと思っていた。特に、祝祭的な「ベムシャ・スウィング」! マックス・ローチのドラムも、ソニー・ロリンズのサックスも、クラーク・テリーのトランペットも最高である。

だが、自覚的にジャズに意識を向け始めたのは、高校に入ってから以降だ。私は、バド・パウエルの『ジニアス・オブ・バド・パウエル』に衝撃を受けた。特に凄まじい「二人でお茶を」をCDラジカセの音量を上げて聴き、圧倒されていた。この衝撃は、ホロヴィッツ以来のものだった。

ブリリアント・コーナーズ

ブリリアント・コーナーズ


ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル+2

ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル+2