プレカリアート映画

パゾリーニの『アッカトーネ』がプレカリアート映画の端緒ではないか、みたいなことを数日前書いたが、ゴダールの『勝手にしやがれ』にもプレカリアート的性格を見出せるのではないか、と思っている。『勝手にしやがれ』では、主人公は「行為」を成就させることもコミュニケーションを成功させることもできず、誤認のうちに死ぬ。そのような曖昧で不安定なありようとプレカリティが重なってみえるのだ。

勝手にしやがれ [DVD]

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