私的所有と共同占有

塩見さんの意見に賛成です。

私的所有というのも、アダム・スミスジョン・ロック以降、近代に出てきた制度でしょう。それに対置されるものとして、個人的(個体的)所有とか共同占有などがマルクス主義の文脈で提起されてきました。私の記憶では、平田清明らのほか、

資本論の誤訳 (こぶし文庫―戦後日本思想の原点)

資本論の誤訳 (こぶし文庫―戦後日本思想の原点)

という本などが面白かった記憶があります。

資本制国民国家の彼方にどのような制度を構想できるのか、われわれの想像力が問われていると思います。財、モノ・サービスとわれわれの関係がどうなるべきなのか、討論することは楽しいかもしれませんね。

私は、商品を消費財と考え、それを私的所有するのではなく共同占有するモデルとして、公共図書館というのは面白いと思っています。実際、私は本をほとんど図書館で借りています。モノ・サービスを享受するのに、何もそれを「所有」する必要はないわけです。一時借りるというあり方でもいいと思います。

衣食住や医療・福祉など基本的な事柄については、無償或いは廉価で保障されるべきだと思います。もしそういう社会になるのなら、何も貨幣を求めてガリガリ亡者になる必要はありません。われわれが貨幣を求めざるを得ないのは、そうしないと生きていけない(と思い込まされている)からです。しかし、そうではないと思います。

これも面白い議論です。全ての社会に共通な法則と資本家的社会にのみ妥当する法則を分け、価値法則を後者だと見る議論など面白いと思いました。

われわれの社会は貨幣フェティシズムに侵されていますが、より根本的には商品フェティシズムがあるのであって、物が商品として現象するありようを分析し、それに抗っていかねばならないと思います。