今日のお言葉

……逆に「責任」という名にふさわしい唯一のものは、諸々の基盤を取り払ったところ、われわれが決定を下す時に頼る規則や知識を取り下げるところにこそ現れる。基盤がないということは、存在証明がないということで、われわれの決定事項のための参照の拠り所がないということである。今まで「責任」とは、常に西洋倫理的、政治的、文学的伝統の中で、「なされること」を「知っていること」によって分節化する形で思考されて来た。だが、それに対してわれわれは、「責任」を認識と行動の秩序の非対称、あるいは切断において再定義しようではないか。むしろ何をすべきか分からない時、われわれの行動の効果と条件がもはや計算不能な時、そしてもはや「自分」というものも含めどこにも頼る所がない時、われわれは初めて「責任」というものに出会うのである。

ダグラス・クリンプ(高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』p156-157)