NAM的言説の問題性

もう何度も繰り返し書いてきたことではあるのだけれど、人間の営みを「交換」へと還元し、その交換をXへと組み替えることで資本制の揚棄を目指したところが問題だと感じる。Q-NAMにおいて、3Q=thank you、NAM阿弥陀仏、NAMを逆から読むとMAN云々といった駄洒落が横行していたことを真摯に受け取る必要がある。単に貨幣を組み替え変態させれば資本主義の現実を変革できるという思い込みは、言葉遊びや意味の戯れで現実を変え得るという錯覚と同根なのではないか。

そうした錯覚を批判するには、どうすればいいか。山城むつみが言うように、「生産諸関係」の変革こそ大事だ、という原則を繰り返すべきなのだろうか。といって、どうすればいいのか。労働者協同組合の起業を、というのはハードルが高過ぎる。資本制でも生き残れる能力がある人にしかできないだろう。もっと地道で、誰にでもできるような対抗運動はないのだろうか?