過去ログを読み返す。

もう何度目になるか分からないが、Q-NAMの過去ログを再読している。現代思想かぶれの、他者とコミュニケーションをまともに取ることのできない京都の美容師の意味不明なメールには、本当に頭にきた。ぼくはこんなヤツを擁護していたのか、こいつが不正高額取引などをやると分かっていたら、最初から擁護などしなかったのに……。歴史に「もし」はない、というのは、世界史のみならず、個人史においてもそうだろう。けれどぼくは、「もしあの時……」と繰り返し自問せざるをえない。モルモット発言どころか、それ以前の可能なるQ引っ越し問題の段階でこの人はダメな人だと直感しなければならなかったのだ。何故、それができなかったか。人間、非情になるべき時もあるということだろう。