フリースペースの愉しみ

昼間作業をして、母親を病院に送ってから、新京成JR総武線〜地下鉄東京メトロ東西線と乗り継いで午後5時に早稲田到着。サイゼリアで人と会い、あかね関係の引き継ぎをする。しばし歓談・交流。

その後、あかね当番。今週から、ワーカーズコレクティブ赤かぶ弁当のきよさんとほたるさんが新たに参加する。

菊池正明さんとロンボクトウのライブも聴けたし、ジャズCDも掛けた。ナット・キング・コールのピアノは本当にセンスが良いね、とか、ハービー・ハンコックは天才だと思う、とか、ロリンズは本当に良いね、といった話をする。脱力し、気楽な、愉しい時間だ。だが、精神病性の鳩尾と右肩の疼痛が酷く、困る。

以前講師にも来ていただいた赤かぶの酒井和子さんもいらっしゃり、あかねをどういうスペースにしていきたいか、など意見交換する。私は、あかねや芸音ホールなど、フリースペース運動をやりたいし、やれる現実的条件も持っているわけだから、本当に恵まれているし幸福だと思う。フリースペースだから、やめたい時にはいつでもやめられるし、やりたい間だけ続けることもできるというのは素敵だ。だめ連やあかねが失敗だったという意見の人がままいるが、何か勘違いしているのではないか、と思えてならない。あかねは常に開かれて、まだ存続しているではないか。どんなにダメな人でも参加出来るという姿勢を保持しているではないか。それは一つの達成だと思うし、威張ることもないが堂々と誇って良いことだと思う。

電車内でもCDを数枚聴くが、オスカー・ピーターソンの2枚目のソロアルバムを聴いて、これはあまり自分の好みじゃないな、と思った。オスピーだったら、ミルト・ジャクソンと共演した『ヴェリー・トール』やブルースを主に演奏した『ナイト・トレイン』などが良い気がするね。ソロは、今いち心に響かないというか、指が良く動くのは分かるけれども、テイタムのような神がかったプレイでもなく、モンクのような表現的なプレイでもなく、いささか退屈に感じられた。和声なども、印象に過ぎないが、テイタムやモンクのほうが複雑なのではないかな、と思った。

マイルストーン』を聴きながら帰宅する頃には、胸と肩の疼痛も少しずつ治まってきていた(この痛みには特効薬はない)。オスカー・ピーターソンジョー・パスの共演盤を聴き、やっぱりオスピーはソロより何人かと共演しているアルバムのほうが良い味出してるよなぁ、と再確認。

オスピーは一番好きなジャズピアニストではないが、岡崎さんのように「手が大きい」だけだと片付けるのも、それはそれでスノビズムという感じがする。オスピーからも学ぶべきもの、スイングやブルースなどがあるのであって、それを摂取する必要を感じる。それが批評家と実践家(演奏者)の違いだろうか。嫌いなアーティストからも積極的に学び影響を受けようとする、というところが。